「餡」を使った和菓子づくりにこだわり続け、全国に販売網を広げていった丸京製菓は、創業65周年を迎えます。
1958年(創業)~1980年
第1期(1958年) | 創業 資本金35万円にて錦町1-46に丸京製菓株式会社を設立。 代表取締役社長 板見定一郎 代表取締役専務 鷲見岩作 |
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第2期(1959年) | 鷲見碩治入社(常務取締役就任)、浦田博入社 販売チャンネルを米子近郊より山陰エリアに拡大 「衛生ボーロ」発売 |
第5期(1962年) | 「バターあん切り」を持って中国五県営業圏拡大 |
第6期(1963年) | 資本金135万円に増資、本社工場増築 |
第7期(1964年) | 主婦のパートタイマー制導入 東京オリンピック開催、新幹線・高速道路日本初開業 |
第10期(1967年) | 「そば饅頭」を開発、総売上2億円達成 |
第15期(1972年) | 「そば饅頭」「茶どころ饅頭」のヒットにより販売エリアを西日本(関西〜九州)に拡大 中浦食品様にて観光土産品の販売スタート |
第16期(1973年) | 第1号バンドオーブン導入 レオン包あん機4台導入 |
第18期(1975年) | 本社工場新築及び、本社練あん工場新設 資本金520万円に増資 |
第19期(1976年) | 創業者 鷲見岩作 永眠 代表取締役社長 板見平一郎 就任 代表取締役専務 鷲見碩治 就任 資本金2080万円に増資 「栗じまん」(現在の栗まん)開発、大ヒットにより レオン包あん機12台新型導入、バンドオーブン2機導入 販売エリア全国展開へ、スーパー(株)ダイエー様取引開始 |
第20期(1977年) | 過去最高売上5億7000万円達成 |
第22期(1979年) | 第二次オイルショックにより日本経済大不況 |
1981年~1990年
第25期(1982年) | 鷲見吉彦 入社(常務取締役就任) 観光土産品一時中止、スーパー、問屋及び小売店への販売ルートを切り換える |
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第27期(1984年) | 「桃山」を開発、「二彩味」発表し、ヒットする |
第28期(1985年) | 「味の銘作」発売、大ヒット、初年度単品にて4億円 の販売実績 過去最高7億円の売上達成 |
第29期(1986年) | 「もみじまんじゅう」開発 |
第30期(1987年) | 鷲見浩生 入社 新型バンドオーブン1号導入 バブル経済突入 |
第31期(1988年) | 本社工場、スチームライン導入により「ソフトドリーム」発売、 まず西日本にて販売、高実績を残す 本社工場全面改装 東京営業所設立、所長 鷲見浩生 就任により関東方面販売強化 |
第32期(1989年) | 北海道産小豆不作により相場高騰 丸京製菓としても最悪の年になり、年間売上6億円弱まで落ちる 消費税3%導入により消費動向も一旦落ちる 昭和より平成に変わる |
第33期(1990年) | 灘町工場倉庫より工場へ改装 「どらやき」1号機導入、販売 |
1991年~2000年
第34期(1991年) | 「どらやき」大ヒット 日総研(大阪)入会 |
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第35期(1992年) | 代表取締役専務 鷲見吉彦 就任 常務取締役 鷲見浩生 就任 バナナ焼導入、販売 バブル経済崩壊 |
第36期(1993年) | 灘町工場増築、どらやき2号機導入 「どらやき」年間売上3億円達成 新卒採用計画ならび中途採用計画をスタートし、 積極的な社員増員策をとる 売上10億円突破 |
第37期(1994年) | もみじ型全自動饅頭焼機械2台導入 売上シェアNo1(65%)の橘高(株)倒産、販売ルートの全面見直しを強いられる 大阪営業所設立 どらやき専門店「どら吉」オープン 盛和塾(中海)入塾 |
第38期(1995年) | 人形焼機導入、販売 社内研修制度スタート 神戸大震災等により平成不況に突入 |
第39期(1996年) | 代表取締役社長 鷲見浩生 就任 全自動人形焼機導入、販売 本社工場、灘町工場合理化推進のためピロー包装機、角折包装機8台導入 手土産ギフト開発、販売 多品種、中ロット生産体制へ移行する 過去最高売上11億6000万円を達成 |
第40期(1997年) | 週40時間対応を行う 鷲見雄司 入社(常務取締役就任) 社内組織、システムの大改革を実施 全国的に食中毒O-157多発、食品業界にも大不況の嵐 進物包装機導入 |
第41期(1998年) | 薄皮まんじゅう発売、他新企画商品多数発売 社内システム構築(生産性向上、変動費、固定費圧縮) 販売チャネルもスーパー、小売店にこだわらず、ありと あらゆるチャネル(CVS、土産品、キャラクターグッズ) へ売り込み 準社員制度施行 |
第42期(1999年) | 灘町工場どらやき3号機導入、他新規設備も含め 約1億円の投資 売上12億円突破 「和菓子の里 丸京」オープン |
第43期(2000年) | 43期経営発表会(ふれあいの里にて)実施 フーズタウン構想に向かってBI、CI、CS、氷温プロジェクトスタート 丸京会発足(7月17日第一回設立総会・皆生にて) 商品アイテムの縮小を行い、NB志向を強める |
2001年~2010年
第44期(2001年) | 旗ヶ崎新社屋新工場へ向かってプロジェクトスタート 売上13億9000万円過去最高売上(前年比114%) |
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第45期(2002年) | CI発表 代表取締役専務 鷲見雄司 就任 取締役執行役員 中曽明美、石倉美代子 就任 新本社屋・新工場移転並びに稼働 第1回丸京工場祭開催(以後毎年開催) 丸京ビジョン2010本格スタート |
第46期(2003年) | 「ふんわり焼」発売、大ヒット 丸京ショップ全国展開スタート 資本金3,300万円に増資 丸京ブランド戦略本格スタート 丸京品質基準システムMQSスタート |
第47期(2004年) | 47期丸京ビジョン発表会(米子コンベンション)実施 丸京庵米子本店オープン 海外事業USA・韓国・台湾・香港にてプロモーション実施 資本金4,080万円へ増資 |
第48期(2005年) | 丸京ショップ全国700店達成 関東LCスタート 輸出事業年間3億円達成 中国大連出張所開設 中国人研修制度スタート 氷温認定商品20アイテム突破 |
第49期(2006年) | 新価格制度スタートのため売上ダウン、 同時質的リストラ委員会発足 粗利益改善大作戦実施 SMTSにて丸京踊り子隊プロモーション実施 海外事業フード台北にて大プロモーション USAロサンゼルス駐在員採用 東京事業所を営業本部として始動 |
第50期(2007年) | あずき庵丸京スタート(地元米子より) 輸出事業年間5億円達成 新物流システム・米子LCスタート とっとり食の安全認定制度取得(HACCP対応) |
第52期(2009年) | どらドラパーク米子ネーミングライツ取得 (米子市営東山運動公園) どらドラパーク美化基金活動スタート 「大好き!どらやき体操」完成 |
第53期(2010年) | 直営店舗・丸京庵東京中延店オープン 丸京ショップ(株)設立 |
2011年~2020年
第54期(2011年) | 代表取締役副社長 鷲見雄司 就任 取締役 杉原順子 就任 「ISO22000」認定取得 |
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第55期(2012年) | 中長期事業計画「丸京ビジョン2020」作成 |
第56期(2013年) | 「FSSC22000」認定取得 56期経営発表会 〜丸京ビジョン2020発表会〜 実施 (米子コンベンションセンターにて) 台湾丸京屏東工場落成式 どらやき神社完成 |
第57期(2014年) | 丸京会 仕入先様勉強会スタート ベトナム人実習生 採用スタート |
第58期(2015年) | 「パンケーキどらやき」発売開始 |
第59期(2016年) | ミャンマー人実習生採用スタート 輸出売上5億円達成 |
第60期(2017年) | 創業60周年を迎える |
第61期(2018年) | 新卒外国人採用をスタート、海外売上5億円突破 |
第62期(2019年) | 中国広州企業と「どらやきパートナー事業」スタート |
第63期(2020年) | 新型コロナウィルス全世界で猛威 |
第64期(2021年) | 新商品「極どらやき」シリーズ発売 |
第65期(2022年) | 65周年消費者キャンペーン実施 |